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田舎から脱出しよう。人の車を勝手に車検をする整備工場が存続し続ける田舎の闇

ブログを始めて1か月ぐらいで書いた「田舎には住むな!脱出して自分の人生を生きよう」という自分の想いだけをぶちまけた記事が、何故か週10件ペースのオーガニックサーチでヒットしPVがついている。現在進行形で田舎住みに苦痛を味わっている人がいるのか、はたまた田舎の闇を覗いてみたい野次馬なのかは不明だが、一定のニーズがあるようなので続編を書いてみたいと思う。

なお筆者自身が育ったド田舎での「青年団」「獅子舞保存会」「消防団」「宗教行事」「商工会」での実体験をもとにしている。

家具ラジオ
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田舎が住みにくい理由は”人が生み出す文化”である

少子高齢化に情報化社会のコンボで「田舎に住み続けるデメリット」が知れ渡ってしまった昨今、過疎化に悩む自治体・集落は「デメリット」だと感じられてしまっている理由を具体的に改善しないといけない。

だがそのデメリットは1つのテーマを改善して済む話ではないのが田舎の闇の深いところだと自分は思う。

例えば交通の便が悪いなら交通インフラを整備すれば解決する話だが(実現可能かは置いといて)、何世代にも渡って地域で作られた”文化”はかんたんに変えられるものではない。どれだけ危険か周知されていても正月になったらモチをのどに詰まらせてあの世に旅立ってしまう文化・慣習はおそらく10年20年を持ってしても変わらないし、政府が「モチ禁止令」を出したところで反発しかないのは目に見えている。

いったん田舎や集落に慣習が作られると、その慣習を好む人が変革に対して反発するので一気にルール変更の難易度が上がるんだ。こうして積み上げられた文化・慣習が凝り固まっていき、他を寄せ付けないオーラをまとっていく。

古参にとって現状維持は安心感。現状否定は不安感

田舎は飲み屋が少なくて公民館が飲み会の場所になる(最悪)
田舎は飲み屋が少なくて公民館が飲み会の場所になる(最悪)

今まで続けてきた慣習にメリットを感じている人は、失うことを恐れる現状維持バイアスにかられてしまい変革を望まない。「どういう結果になるか」すら聞き入れてもらえないケースも多い。まるで”話を聞いたらそれを承認したことになる”とでも思っているような態度に出る。

よくやり玉にあがる「慰労目的の飲み会」なんかがそうだ。

お酒を飲めない人、タバコの煙が苦手な人、大勢での会話が楽しくない人、下ネタを好まない人には苦痛でしかない飲み会だが、この真逆の理由で飲み会を好ましく思っている人たちが、飲み会の廃止にはもっともらしい理由をつけて反対してくる。

「地域の人間同士で親交を深める(気の知れた仲間と騒ぎたいだけ)」だの

「毎年やってきたから(目的?知らん。でもやる)」だの

真に合理的な理由を言ってくる人の方が珍しいだろう。

理由も知らずに慣習を守り続けるばかばかしさ

「報恩講」という行事 画像引用元:綱生山 當光寺http://tokoji.tokyo/pg13.html

毎年冬になると「報恩講(ほうおんこう)」といって、地区長の家に坊さんを招いて説教をいただく行事があった。

れっきとした仏教の宗教行事で、起源は室町時代の農村で始まったという古くからある慣習だ。「お布施をおさめる余裕のない百姓たちがわずかなお金を持ち寄って坊さんを呼び、持ち寄ったお布施で説教を聞かせてもらった」というまだ合理性のある行事だと思う。

謎なのはその後の食事についてだ。

青年団が主催で参加者に食事をつくって提供するのだが、「炊き込みご飯」と「豚汁」以外を食事に出してはいけない。

さらに具材にも縛りがあり、炊き込みご飯の中に入れる具材は「にんじん」「ごぼう」「かまぼこ」のみ。豚汁は「にんじん」「ごぼう」「だいこん」「豚肉」のみ。

わたし
わたし

豚汁が味気ないのでネギと七味唐辛子入れていいすか?

青年団ども
青年団ども

いや、それらは「入れていいもの」に入ってないからダメや

わたし
わたし

じゃあなんで「かまぼこ」とか「ごぼう」は入れてもいいものなんですか?

青年団ども
青年団ども

知らん!いいからはよ作れや!

このやり取りを想像して不信感と不快感を僅かでも感じるなら、あなたは田舎には住んではいけない。

ちなみに狭い集落のくせに「東本願寺派」と「西本願寺派」に分かれて報恩講をやっており、「東」は炊き込みご飯+豚汁。「西」は自由で年によって焼肉、しゃぶしゃぶ、お好み焼きと自由奔放。

まったくもって謎。お釈迦さまも東派を見ながら首をひねって焼肉食べるでしょうよ。

法律よりも村の掟や慣習が優先される

まるでこの村だけ法律が存在していないかのようだ
まるでこの村だけ法律が存在していないかのようだ

村に1つだけ小さな自動車整備工場があったが、そこに1度でも車を整備に出すととんでもないことが起こる。

ある日実家の軽トラで出かけようとすると、いつもの小屋に軽トラがない。

「ん?親父が使っ・・・てない。セダンで仕事行ってる。はて?」とどうしようか思案していたら、軽トラが帰ってくるのが見えた。

うちの軽トラを運転していたのは整備工場のおっさんで、開口一番「車検やっといたから親父さんに言っといて」と言い残し去っていった。

親父が帰宅して「今日車検出すんなら教えておいてよ」と愚痴ると「え?出してないぞ」とまさかの答え。

なんと「あいつ勝手に車もちだして車検やって料金を請求してきた」という出来事だった。鍵は玄関の中にある。田舎なので鍵はかかっていないが、堂々と家の中に上がり鍵を持ち出し車に乗って去っていったのだ。

さすがに自分から苦情を入れようとすると、親父からは「何かあったときにあそこに頼めなくなるからやめろ」とストップを掛けられる始末。これが「あきらかに間違っていてもそれが正されない空気」を作っている構図だと思う。不便な環境では多少の理不尽さを許容しないともっと不便になってしまうからだ。

不法侵入、窃盗、契約の強要など出るところに出たら明らかに勝てると思う。ただ「地域に1つしかない自動車整備工場」を敵に回すことを良しとしない地域性が法律を上回ってしまっているため、誰も苦言を呈さない状態が延々と続く。

普通自宅からいきなりマイカーが無くなったら通報するからね?

衰退するのがわかっても掟は変えられない

不満は持ちつつも「変革の痛み」を嫌う人が大半を占めたら、そのコミュニティーに未来はない
不満は持ちつつも「変革の痛み」を嫌う人が大半を占めたら、そのコミュニティーに未来はない

自分が村を出るときに青年団長に伝えた。

「いろいろな行事を存続させたいのなら、担い手を増やさないと無理ですよ。少なくとも”一家から1人しか参加できない”とか”長男以外は青年団禁止”とか謎ルールを改めた方がいい。隣の集落(同村内)は3人兄弟いたら全員参加してくれてますよ」と。

返ってきた答えが「人は確かに足らないんだけど、じいさまたちがウダウダ言ってくるからなぁ…」だった。

そのときは内心(あぁ、村を出るという自分の判断は間違ってなかった)とホットしたものだ。

現状維持であれば文句は言われない。ルールを変えたい気持ちはあっても面倒は避けたい。こんな考え方の人間の比率がゆっくりじっくりと増えていけば、「いつまでも変わらない疎ましい田舎の空気」が出来上がるのだ。

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田舎の衰退に付き合うとあなたの時間が無駄になっていく

何度でも言う。田舎は衰退する。

どうしても身動きできない理由ががなければ、1日でも早く脱出して都会かそこそこの地方都市への移住を強くすすめたい。

定住者が増えない理由は現地の人間たちが作っているが、他人の考え方は変えられないと思った方がいい。他人を動かすことができないから不条理なルールや慣習も変えられない。

何より田舎の不条理に反骨心を抱けるあなたの貴重な時間を、地域全体で地盤沈下のように沈んでいくド田舎での生活の改善のために使うのはもったいないんだ。

あなたには意義の薄い行事に費やす時間よりも、スキルを身につけるための自己研鑽や教養を深めるためにコンテンツを消費するなど、自分を高めるための時間を使って欲しい。

結局のところあなたの人生を幸せにしてくれるのは、あなた自身の行動によるのだから。

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